10月1日
沢山の方々から、娘の怪我の事でご心配を頂き
あらためて皆さんの思いやりに感謝いたしております。
お陰様で、もう足の方は完治し普通に生活出来る状態です。
有り難うございました。

MEGAMIKO meetingの参加者へのメール送信も終わって
僕は一段落ついております。
もう、これからはMEGAMIKO一色の生活が続くのです。
まず初めに、今年のBGM作りから。
僕は、音楽が大好き。
音も大好き。
音と言うのは、楽器も好きですし、オーディオから出てくる音も大好き。
昨年は80年代のヒット曲を中心にセレクトし、皆さんに楽しんで頂きましたが
今年は”DISCO&SOUL”に決定!ハッスルしました!
早速、我が家のライブラリーから120曲あまりを引っぱり出して
約半分の55曲に絞りました。
CDにして3枚分。
時間にして約3時間30分。
皆様をFEVERさせます。(笑)
さあ、ご機嫌なダンスミュージックで踊り狂って下さい。
ミラーボールの用意は有りませんが、ステージの上で踊って下さい。
先週のお休みを利用して、蓼科のアジトに行き
今年のMEGAMIKOに使うCDの音チェックをしてきました。
近所に何もないアジトですから、大音量でも文句は来ません。
一足先にDISCO&SOULを楽しんで来ました。

8日
唐突ですが、僕はギター少年でした。
初めてギタ−を買ったのは、小学校4年生の時。
お年玉を貯めて、八王子の楽器店でガットギターを買いました。
\4.000だったと記憶しています。
狭い家だったので、家人から『うるさい』とよく怒られました。
中学生になった頃、フォークギターを買いました。
ガットギターとは違った金属玄の響きが好きで、さらにギターに夢中になって行きます。
遠足の集合写真を見ると、前列でギターを持って写っています。
学校の行事のあらゆるシーンで僕はギターを弾いていました。
音楽の先生に頼まれ、合唱コンクールではギターで伴奏して当時のフォークソングを歌ったり
放課後の教室には一緒にギターを弾き、流行のフォークソングを歌う仲間が集まって来ました。
学校に必要のない物を持ってくるのは、校則違反です。
もちろん怒られていましたが、ある出来事が僕たちに大きな力を与えてくれました。
給食の時間、校内放送で流れてくるのは”クラシック音楽”です。
生徒会で「僕たちの聞きたい音楽をかけて欲しい」と学校側に要望しました。
壁は厚く、思うように事態は進展しなかったのですが、
実験的に一度やってみようと言う事になり「何の曲をかけようか?」となりました。
僕たちは思案したあげく”あの素晴らしい愛をもう一度”を記念すべき最初の曲に選びました。
放送委員の『これから、お昼の放送をします』の声の後、レコードに針を落とした音が”バチッ”と鳴り
美しいギターの音色が聞こえ始めました。
教室の中は、歓喜にあふれていました。
僕らの記念すべき第一歩でした。
そのときのレコードは今も持っています。
ジャケットは無くなり傷だらけですが、思い出が詰まったレコードです。

僕は今もギターを引っぱり出しては、家族と歌を楽しんでいます。
初めてのガットギターから数え、10本目の現在の愛器は
昨年ネットオークションで買った安物ですが、いい音で鳴ってくれます。
時々息子にギターを教えていますが、本人は興味が無いようでなかなか上達しません。
先日、ピアノを習っている娘の発表会が有りました。
何度も躓いて、ピアノのレッスンを止めようと言っていた娘でしたが
彼女は見事に弾き、少なくとも僕を感動させました。
音楽が好きだ。
楽しく音を奏でたい。
彼女を見て改めて気がついた事でした。

ピアノ発表会の前夜、GAROCの皆さんと御殿場のキャンプ場で少しの時間でしたが
楽しい時間を過ごしました。
せっかく箱根に越してきて、ご近所になった皆さん。
僕にとっては”今”を楽しく過ごしたい一時です。
でも、少し”浮いています?”(笑)
何気ない会話の中に「コッキーポップ、懐かしいね」と誰かが言って
話は盛り上がりますが「オレ、ポプコンに出たことが有るんだよ」と言えず
「じゃあまた」

もう僕は”ポプコン”に出ることは無いだろうけど
NHKの”熱血!オヤジバトル”は、密かに狙っている。
どう?オヤジ諸君。
一緒にネジを巻いてみない?
明日、10月9日夜7時30分からNHKのBS2で”熱血!オヤジバトル”放映。
ご覧になりませんか?
他局の宣伝してどうすんの!

26日
多くの皆様の支えがあって、今年もMEGAMIKOが無事終了しました。
DISCO VOLANTEを保管して積載で運んでくれたAUTO SPECの皆さん。
全面的に信頼してくださって貴重なALFAROMEOを委ねて下さったFAJのサラ広報部長。
いつものように僕を支えてくれるTAROCの面々。
他にも書ききれないくらい、助けてフォローして下さる方々ばかり。
感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございます。
そして僕は、大切な家族にお礼を言いたい。
今年はどうしようか、正直ギリギリまで迷っておりました。
前日から蓼科に行って、イベントの最中や蓼科〜箱根の往復など
我が家の愛犬”ミケ”には過酷な行程であるだろうと考えて
一緒に連れて行くことを諦めていました。
だからといって、いつもの様に同僚に頼んで世話を見て貰うのも
何だか気が進まなく、ふと思い出したのは以前内蔵が出てしまうほどの怪我を負った時に
診ていただいた御殿場の獣医さんに相談して見ようと。
久しぶりにお電話を差し上げたら「ミケちゃん元気でしたか?」と意外そうに仰り
土曜日の朝に連れてきてくれたら面倒を見てくださると嬉しいお返事。
あれだけの怪我と歳を取って弱った身体を診ていた先生でしたから
僕らも先生が預かってくださるなら、心おきなくMEGAMIKOに力を注げると急に不安や苛立ちは無くなりました。
もう自分で歩くことが出来なくなって二年ぐらいは経っていましたから
後ろ足は細くなりようやく前足だけで身体の向きを何とか変えていたミケも
最近は身体を起こす事も出来なくなって、車に乗り込むときも毛布にくるみ抱きかかえて行きます。
目に力も無くなり、見えているのかな?と思えることが有ったり
食欲が無くご飯を催促しなくなったり
何時かはこんな時が来るだろうと覚悟はしておりましたが
MEGAMIKOに行く数日前もミケのご飯を沢山買い込み
まだまだ生きてくれるだろう信じていたのです。
先生には月曜日の夕方ミケを迎えに行きますと伝え
土曜日仕事終え箱根を出発しました。
カミさんは金曜日から実家の四日市に行っており
直接蓼科に向かいます。
蓼科で合流し「ミケどうだった?」と聞かれ「いつもと同じだったよ、先生も懐かしそうだった」と言いました。
日曜日、MEGAMIKO本番です。
僕らは6:00に起き、運ぶ機材を玄関先に準備しました。
7:00集合でTAROCメンバーが続々集まって来ました。
好天に恵まれ、今年のMEGAMIKOは大成功だったと、その夜の打ち上げでも大盛り上がり。
いつもの様に酒を呑みながらDVDを上映していたとき
見たいDVDが見つからず、以前撮ったミケとネコのクリームが画面一杯に映し出され
じゃれて遊ぶ二匹にしばらく見とれ「ミケも元気だったよね」と吉田さんが言います。
「そうそう、飛び跳ねていたもんね」と僕も懐かしく見ていました。
月曜日AUTO SPECさんから電話が入り、頼んでいた147の車検が終わったので
僕らはAUTO SPECさんに寄って147を引き取って行くことにしました。
18:00を少し回って辺りはもう暗くなってます。
早くミケを迎えに行かなくちゃと僕だけ33で病院に向かいました。
蓼科で買ってきたお土産のチーズケーキを片手に病院に行くと
受付は忙しそうで、先生も僕の顔を見て少し緊張したように見えました。
「FAXは、ご覧になりましたか?」と聞かれ、「いいえ、今長野から帰って来たところです。お世話になりました」
先生は少しうつむいて「昨夜、お水を飲んでいたら、少し嘔吐しました。食事もほとんど食べなかったのですが
吐瀉物が喉に詰まり、吸引機で吸い取り蘇生を試みたのですが・・・心拍が停止し・・・残念ですが、ミケチャン亡くなってしまいました」
それは小さく力の無い声で、ようやく僕に伝えて下さった言葉でした。
初め僕には、どういう事なのか理解できませんでした。
身体の力が急に抜けて行きました。
ミケが死んだのはMEGAMIKOが終わった日でした、ちょうど僕らがDVDを見て懐かしがっていたときです。
様々な思いが頭をよぎります。
ケイタイを見るとカミさんから3回着信が有ったようで、折り返しこちらから電話をすると
「ミケ、迎えにいった?」「うん、今車に乗せたところ」箱根の自宅に着くと僕の方が先に着いたみたいで
3分ほどしてカミさんと子供達も帰って来ました。
涙が止まらない僕を見て、「どうしたの?」
「ミケが・・・死んじゃった・・・」
カミさんは、泣き崩れました。
娘も大きな声で泣きじゃくり、息子は33のリアゲートに走り「アーン・・・」と泣きながらミケを探しています。
楽しかったMEGAMIKOから帰って、僕らを待っていたのは深い深い悲しみでした。
力の無いミケを抱きミケの定位置に布団を敷いて、しばらく僕らは泣きました。
獣医さんに預けて行ったことは、間違いでは無かったと思っています。
後少し待ってくれたら、と言う思いも有りますが苦しんでいるミケを僕らは和らげてあげられなかったでしょう。
やっぱり、先生が側にいて異変に気づき適切な処置をして下さったから
ミケも苦しさを和らげる事が出来たのだと思います。
穏やかな顔でまるで眠っているようでした。
















今日、火葬されカミさんと二人で最後のお別れをして来ました。
今夜は自治会の集まりが有って、役員の僕が行って仕切らなくてはいけないのですが
どうしても力が沸いてきません。
代理をお願いしましたので、今夜は家族でミケにさよならをして
ミケの思い出を沢山話したいと思います。
「ミケ、ありがとう」
ミケを可愛がって下さった多くの皆様、お世話になりました。
吉田さんとAyaちゃんにはその場で電話をして報告致しましたが
もう少し待って連絡すれば良かったと後悔しました。
みんなそれぞれにMEGAMIKOの余韻に浸っていたのに・・・
この晩酌タイムでも、もっと時間が経ってから皆さんにご報告しようと思いましたが
ミケを弔う意味で、今夜書きました。


29日
今年のMEGAMIKOは、何もかも特別な試みでした。
DISCO VOLANTEを展示しませんか?と言われたときは
どうすればそんなことが可能になるのか考え込みました。
各方面の方々に相談して、運ぶためにはどうしたらいい?
保管管理するのは何処がいいのか?
参加費を頂かないイベントだから、かかる費用をどうするのか?
やはり、DISCO VOLANTEを持って行くことは無理なことだと諦めていた。
サラさんから「いつもお願いしている業者さんにお願いするから、だいじょうぶ」と言われ、
何から何までFAJにおんぶされるのはMEGAMIKOのイベントふさわしい考えでは無いと
何故かムキになって「だいじょうぶだよ、僕の友達の下田くんに頼むから」
言っちゃった。
サラさんは「その人は、どんな人?信頼出来る?」
「もちろん、僕のALFA仲間だもの」
言っちゃった。
「じゃあ、トダテさんに任せるから。で、どっちがいい?クーペ?スパイダー?」
究極の選択を迫られた・・・・
スパイダーは栃木の某所でメンテを受けていて
クーペだったらFAJの本社に保管していると聞き
僕はクーペを選択した。
言っちゃった。
クーペは少し前に行われた”ラフェスタ・ミッレミリア”で優勝した車両で
貫禄も十分だし、何より雨が降っても大丈夫!と訳の分からない理由で選んだのだった。
ただ一つ、ミッレミリア最終日、うみほたるの料金所でゴルフ帰りのオヤジに追突され
テールレンズ辺りが凹んでいると聞かされ、
多くのALFAファンの前に連れ出すのは少々気が引けた。
それでもサラさんは「良いじゃない、みんなにそう説明すれば」
とサラッと言うのであった。
AUTO SPECの下田くんに電話して「チョット、相談が有るんだけど・・・」
彼にダメだと言われたら、この話は振り出しに戻る。
「DISCO VOLANTEをMEGAMIKOに持って行くんだけれど・・・一緒に運んでくれる?」
「良いですよ」
あっさり言われた。
僕は急に強気になった。
”よし、行ける!”
しかし、そこから二転三転色々な問題がわき起こった。
DISCO VOLANTEは積載に乗っている状態で事故が起きたら保険はおりないらしい。
積載車両の保険を確認する必要が有った。
明日は日曜日、MEGAMIKO本番まであと一週間。
事故の事を考えると眠れなかった。
下田くんには「ゴメン、やっぱりFAJの業者さんにお願いするよ」
サラさんから電話が来た。
「いつもの業者さん、その日はダメだって」
その日とはMEGAMIKOの直前の金曜日の事。
FAJは土日が休みだから引き取りは金曜日じゃなくてはダメ。
やっぱり、下田くんしかいない。
保険はどうする?
もう、僕の頭の中はぐちゃぐちゃだ。
業者さんは、 水曜日か木曜日だったら何とかなるらしく
もう時間がないからとりあえず”御殿場”迄運んで貰うことにした。
水曜日は台風の影響で心配だから取りやめ、木曜日にその車は来た。
興奮した、本当に来た。来ちゃった・・・どうしよう・・・。















前日、カミさんとDISCO VOLANTEに掛ける赤いサテンのカバーを作った。
5メートル×4.5メートルと言う巨大な布だ。
DISCO VOLANTEの実車を見たことがないので、手元の資料でサイズを判断し
そのくらいの大きさなら間に合うだろうと少し大きめに作ったが
実車はとても小さくて驚いた。
その日から、僕は時間との戦いだった。
サテンに貼るステッカーづくり。








ALFAROMEOの旧ロゴとTAROCをまず貼った。
翌日AUTO SPECでステッカーを預かりその下に貼った。
いけねぇ、忘れてた。Fiat auto Japanも貼らなくちゃ。
それだけでは無い。
蓼科に持っていく荷物をまとめなくては。
サラさんから送られて来た荷物は大きな段ボール5つ分だった。








33に積みきれないので、DISCO VOLANTEと一緒に運んで貰う手配をする。
AUTO SPECには、アバ美の山口館長がいらしていて、
山口さんは、ここ数年土日は休めない環境で
自動車イベントは、随分ご無沙汰らしくアバ美閉館の後は
それはもう精力的にあちらこちらのイベントに出掛けているご様子だった。
先週はフレンチブルーミーティングに行って
今週はMEGAMIKO・・・毎週のようにお出掛けだと喜んで仰っていた。
下田くんらと一緒にMEGAMIKOに行く予定だったのが
彼らは僕の注文で8時にはMEGAMIKOの会場に到着しなくてはいけなくなって
事情をご存じでない山口さんは「何故積載でいくんだ?」と僕らに聞いてきた。
DISCO VOLANTEが此処のガレージに有ることは、例え山口さんでも
ナイショにしていたので、下田くんと顔を見合わせて一瞬時間が止まった。
「実は・・・」と、工場の奥でボディーカバーが掛けられたDISCO VOLANTEを指さし
下田くんとボディーカバーを剥がし始めたら山口さんの顔がほころんだ。
「ホントに持って来ちゃったのか?」
前の週にお会いしたとき、少しだけそんなお話をしていたのだが
まさか本気だとは思ってはいなかったらしい。
そりゃそうだ。イタリアのMUSEOに有る車が、今目の前に有るのだから。
山口さんじゃなくても驚くだろう。
DISCO VOLANTEの話が本格的になり始めたとき、サラさんは「雑誌は取材に来ますか?」と聞いてきた。
MEGAMIKOは雑誌等に告知はしないし、取材もお断りしてきた。
イベントが有名になって、やりづらくなるのが嫌だったし
AR-dayの様な大きなイベントに関わっていると、運営の難しさや
大きなイベントが持つ弊害などもTAROCのメンバーはよく分かっていた。
自分たちが楽しく出来るイベントのあり方を考えたら、今のような形が一番だと思っている。
だが、サラさんの立場を考えたらやっぱりどこかのメディアに来て貰った方が良いのか・・・
TAROCの幹事会で相談したら、「良いんじゃない」と言う意見が出て
CGの加藤さんに電話した。
もう翌週の事だから、日程の調整が難しい。
ALFA&ROMEOの副編集長”す〜さん”こと鈴木さんにもご連絡をした。
ジュリアで日本一周の真っ最中で、毎年のようにプライベートでMEGAMIKOに参加して下さっている
す〜さんも、どうやら今年の参加は難しいらしく、他の編集の方が来ることになった。
alfista誌の櫻井編集長さんにもご連絡を差し上げたが、なしのつぶてだった。
CGは加藤編集長の奥様、岡 小百合さんが来ることになった。
加藤さんとサラさんはお友達で、「トダテさんに貸した後、うちにも貸して」と言う話になって
月曜日AUTO SPECの積載でFAJにお返しする予定だったが
二弦社で積載を用意して引き取ってくれることになった。
僕は、少しホットした。
MEGAMIKOの前夜、箱根を午後6:30頃出発。
無事DISCO VOLANTEは来るだろうか・・・
中央道の電光掲示板は”通行止め情報”があちらこちらに出ていて
しょっぱいオーディオしか付いていない33はラジオを聴くことが出来なく
何処が通行止めで、どんな状況なのか解らなかった。
諏訪南ICで降りて、今夜我が家に泊まる志村さんと待ち合わせだ。
彼のケイタイがなかなかつながらない。
大きな地震があったらしいとは解ったが
その影響だった。
蓼科に上り始めたころ、加藤さんから電話があった。
「長野・新潟が凄いことになってるけど・・・明日はどうするの?やるの?」
そっち方面の参加者・スタッフの無事が気になったが
「やります」と決断した。
翌朝テレビを見て本当に凄い地震だった事が解った。
高速道路の映像を見たとき、DISCO VOLANTEを積んだ積載がこんな事になったら・・・
背筋が凍った。

イベントはスムーズに進んだ。
MEGAMIKO参加者の皆さんは本当にマナーが良い。
誰一人変な動きをする人はいない。
サラさんの希望もあって、DISCO VOLANTE周辺に柵やロープは張らなかった。
皆さんに間近で見て欲しいと言っていたから
僕らは少し不安だったが、後になって思うと正解だった。
20日からイタリア出張に行ったサラさんとは、ほぼ毎日電話をしていた。
MEGAMIKOに参加したいと言っていたサラさんだったが
今回は147のフェイスリフトが行われ、試乗会が行われるので叶わなかった。
24日は実家のローマに帰るらしく、「じゃあ、電話で参加する?」
祭り好きのサラさんは直ぐに「イイネ!」と言った。
本番では、会場内にサラさんの声がPAから流れ新しい147のことや
ブレーラは何時発売?8cは?等の質問に答えてくれて
最後に会場の皆さんとジャンケン大会。
勝者には『お好きなALFAROMEOの貸し出し』が約束された。

27日、ようやくMEGAMIKOの疲れもとれたかな・・・と思っていた時
FAJから電話が来た。「あの・・・DISCO VOLANTEは今どこでしょう?」
「え・・・」少し凍った。
「本日の5時までにお返し頂く約束になっていたのですが・・・」
時計を見ると4時を少し回っていた。
僕は「二弦社さんの方に聞いてみます、確か28日に返すとか言っていたような・・・」
しどろもどろだった。
本日成田に運ばなくてはならないらしく、迎えの積載が5時にFAJに到着するらしい。
僕は焦った。
とりあえず加藤さんに電話した。
留守番になっている・・・
サラさんに電話した。
「ダイジョウブ、ダイジョウブ。届いたよ」
どうやら、FAJからの電話の直後無事届いたらしい。
心臓が止まるかと思った。
あのDISCO VOLANTEはもうイタリアに帰って行った。
MEGAMIKOの集合写真を見ると、DISCO VOLANTEの周りに屈託のない笑顔で
写っている参加者やスタッフ達。
MEGAMIKOと言うイベントだから出来たのかもしれない。
素晴らしい夢をありがとう。

長野・新潟の地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に 一刻も早い復興を願っております。